イノモト

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文春砲は"悪"なのか!?

 また乃木坂46に文春砲がぶちかまされたようだ。

 スクープされた当人はもちろんだが、メンバーや家族、関係者、そしてオタクの受けるショックはなかなかのものだと思う。僕自身も、乃木坂にハマリはじめていた丁度その時期に松村沙友理さんの例のスキャンダルが出て、しかも彼女を推しメンに決定したすぐあとの出来事だったので、めちゃくちゃ病んだのをおぼえている。あの日は、人生で初めて"やけ酒"をした日だった。

 報道の内容はどうあれ、「週刊誌にスクープされた」という事実だけでもう結構"来る"ものがある。その意味で"文春砲"という愛称(蔑称?)はなかなか良くできていて、それに撃ち抜かれた人はまさにバズーカ級の大ダメージを食らうのだ。

 

 

 さて、こういうときに必ずといっていいほど論争の場に引きずり込まれるのが、「悪」とか「罪」といった宗教的・法的な概念である。タイトルにも書いたような「文春砲は悪なのか?」といった問いかけや「アイドルグループの恋愛禁止は"悪法"だ!」といった非難が、しばしば頭をもたげる。実際、人権や自由といった観点から週刊誌のスクープや恋愛タブーを「憲法違反だ」みたいな強いレベルで批判する声もよく耳にするし、それで訴訟に発展したようなケースもある。

 

 しかし、文春砲に関してほんとうに厄介なのは、法的な範疇で扱えない"にもかかわらず"「悪」や「罪」と呼びたくなるもの、つまり「悪っぽいもの」とか「罪み(つみみ)」だと思うのだ。

 たとえばスキャンダルの中心人物たる芸能人やその関係相手に対して投げつけられる「責任を取れ」「謝罪しろ」「許さない」といったカタい言葉は、法の世界からコピーされてきた"まがいもの"であり、そこでわれわれが行っているのは「悪っぽいもの」「罪み」を裁かんとする「法廷ごっこ」に過ぎない。そういう重たい言葉によるリンチめいた攻撃は、みんなでサバゲーをやっている中にどっかから密輸してきたガチガチの重火器を持ち込んで「汚物は消毒だ~!!」とやっているような場違いのものであり、それはやがてまた新しい「罪み」を生み、さらにそれを裁こうと「法廷ごっこ第2弾」が開かれ……という無限ループに陥る。

 

 現状、そのループから抜け出すための唯一の方法は「忘却」であると思う。われわれは、「いつの間にか忘れている」という原始的な手段でしか「罪み」を根絶することができない。

 

 まあそれはある程度仕方のないことなのかもしれないが、 少なくとも週刊誌や芸能人を攻撃対象にするときに、その背後に見えるダークな影があくまでも「悪っぽいもの」「罪み」のような二次創作的な概念であることには注意しておかなければならないと思う。

 

 本当ならば、文春砲的なものは「事故」なのであって、誰が悪いとか特定の悪意に基づいているということではないんだろう。しかしそれだとおさまりが悪いので、決着を付けるべく「悪っぽいもの」「罪み」を捏造する。これは一見、事故に耐えられない人間の弱さが生んだ"悪習"にもみえるが、しかし本物の(?)"悪"とか"罪"、そしてそれを禁じ裁く法律なんかも、結局は同じ理屈で生まれた共同幻想なのかもしれない……。

 とか抽象的なことを考え出すとキリがないので、このへんで終わりにする。また明日ァ!!