あぼいどのーと

インターネット初心者

海外の「ゲーム音楽研究」についてまとめてみる vol.0.02

 以前の記事で「海外におけるゲーム音楽研究」について調べる、というのをやった。
ゲーム音楽というのがアカデミックな世界ではどんな風に扱われているか、というのを手探りで調査した。
前回は「ダイジェティック/ノンダイジェティック」という用語の説明にとどまったが、今日はそれの続き。だいぶ間があいてしまって申し訳ないが、今回はもうちょっと総合的な話になると思う。

 
 色々調べていると、今から8年ほど前に出版された、ゲーム音楽研究に関するボリュームのある論文を発見した。

といっても、フルで読むには130ドルかかる上に、全文英語なので趣味で読むにはちょっと……という感じのやつだ。

 だから、今回はフリーで読めるインデックスや各章のAbstract(概要)から僕が読み取った「なんとなくこういう感じだろう」という雰囲気を伝えたいと思う。
書評を立ち読みで済ますようなもんなので非常に不誠実かつ無礼ではあるけども、広い心で許してほしい。
また、僕の読解が誤読・誤解である可能性も大いにある、ということも注意しておいてほしい(えらそうだな)。

 

 さて、当の論文がこれ。

『Game Sound Technology and Player Interaction: Concepts and Developments』
https://www.igi-global.com/book/game-sound-technology-player-interaction/41766


2010年に、英・ボルトン大学のMark Grimshawが書いたものである。上記サイトから電子版のダウンロードが可能なほか、ハードカバー版であればAmazonでも買えるっぽい。

全部で18の章に分かれており、その内容はゲーム音楽の現状を概観する読みやすそうな導入部から、心理学や生理学の成果を援用してガチでアカデミックに掘り進めているような部分まで多岐にわたる。
いわく、ダーウィンがどうとか、ジェームズ・ランゲ説がどうとかいっている。
まあそういう難しいとこは置いといて、読める部分だけを拾いあげた結果いくつかの理解に到達したのでまとめてみる。

 

 まず、ゲーム音楽研究のモチベーションである。
そもそも、ここで研究されているような本格的な「ゲーム音楽学(Ludomusicology)」は、どのようなビジョンとともに立ち上がったのだろうか?

それは、大きく3つにわけられそうだ。


 1つ目は、「どうすればゲーム体験をよりImmersive(没入的)にできるか?」という、プレイヤー・ファーストな目線。

前回の記事で「"Immersion(没入)"というのもゲーム音楽学の重要キーワードである」と書いた。
時間を忘れるほどにその世界観にのめり込むことが、ゲームプレイにとってより良いことである、というのである。まあ確かにそうだ。

ゲーム音楽研究は、まず第一にこの「没入感」をサウンド面から補強できないか、ということを考えているようだ。
もっぱらヴィジュアル面に傾いていたこれまでのゲーム研究に、「よりゲーム世界にハマり込める音とはなにか」という新たな知見を加えんとしているのである。

 

 2つ目は、「健全なゲーム音楽コミュニティの醸成」という、クリエイター・ファーストな目線。
現状では、ゲーム音楽はメジャーな音楽シーンからは疎外され、片隅に追いやられていると考えられているようだ。まあ確かにそうだ。

そこで彼らは、ゲーム音楽研究を通して大多数の人々の認識を更新し、ゲーム業界に眠る才能が正しく世の中で花開くようにしていこう、みたいなことも目標にしているようだ。
簡単に言えば、アカデミックな視点を補うことによる「ゲーム音楽の地位向上」である。

 音楽、のみならずあらゆる芸術は「作品として良い」だけでは必ずしも評価されず、研究や批評を含めたコミュニティの活動に下支えされて初めて正当な評価を得る、ということはままある。
だからこそ、そうしたコミュニティ醸成の一助としてゲーム音楽研究が推し進められていくべきだ、というようなことだろう。

 

 3つ目は、これは本文から直接読み取れることではないのだが、どうやら「ゲーム音楽」の建設を志向している気配もある。
2つ目の話とも密接に関連しているが、ゲーム音楽が音楽の一ジャンルとしてシーンに台頭するためにはやはり「歴史物語として語られ得る」という説話の可能性も担保しておく必要がある。
クラシックにはクラシックの歴史が、ジャズにはジャズの歴史があり、それぞれに誕生や成長、結婚やケンカ別れのストーリーがある。
むろん、「唯一の正しい音楽史」というのは存在しないわけだが、ともかく「各々が各々の視点で語るゲーム音楽史」の準備のためにも、ゲーム音楽研究のモチベーションは差し向けられているようだ。
IEZAフレームワークのような"わかりやすい"メソッドも、アカデミックな難解さを避けて、多くの人がゲーム音楽について「語りやすくなる」ために紹介されているというフシもあるだろう。
(IEZAについててはまた別の機会にまとめたい。)


 また、当論文の論の進め方を見る限り、先行研究として「映画音楽」、そして「映画音楽研究」をかなりリスペクトしているようだ。
ゲーム音楽には映画音楽という"親"がおり、それに多くを負っているという。たとえば"ダイジェティック/ノンダイジェティック"という用語法もその典型例だ。

だがしかし、同時にその親からの"自立"も目指すべきだ、というようなことも書いてある。先立つ業績から明確な境界線を引き、そこに自らの足で立つべきだ、と。
このような自覚とアイデンティティー意識こそ、ゲーム音楽音楽史における一ジャンルとして築き上げたいという強い意志の表れではないか。
「日本のゲーム音楽研究は海外に比べて遅れている」と言われる一因は、このような意識の違いにもあるのかも知れん。


 さらに最終章にかけては「今後のゲーム音楽はどこへ向かうべきか」「どのようなサウンドデザインが効果的か」みたいな話になっていく。まあそのへんはクリエイター向けの話ということになろう。
ともかく、非常に熱のこもった重要で有意義な論文であることに間違いはなさそうである。

 

 

 

 さて、前回から続いて、「海外のゲーム音楽研究」を調べてみた。

「研究」と名のつくくらいなので、専門的で難解な話が多く、ただのいちファンにとってはやや縁遠い話だな、というのが正直なところ。

しかし、ゲームとゲーム音楽にかける熱意は誰でも一緒のはずだ。
このような専門的な研究があるのを知ることで、これほど"マジメに"ゲーム音楽に向き合えるんだ、向き合っていいんだ、と勇気づけられたりもするんじゃなかろうか。少なくとも僕は勇気づけられている。

 

 

 これからも「ゲーム音楽研究の研究」は断続的にやっていくが、いかんせん情報が少ないのが悩みどころ。
今度はもっと各論的な、「ゲーム音楽思い出話」でも書いてみようかな。

 


おわり!!!!

 

 

 (参考リンク)

http://9bit.99ing.net/Entry/59/

http://igdajac.blogspot.com/2015/05/blog-post.html