あぼいどのーと

インターネット初心者

続・「切り替えていく」とは何なのか。

 今日もテレビで野球の試合を見ていた。連敗中のジャイアンツと、連勝中のヤクルトの同カード3試合目。ここまでジャイアンツの2連敗ということで、最後くらいは一矢報いてほしい試合だった。

 

 ……が、先発メルセデス8回無失点という好投もむなしく、続くマシソン・上原が1点ずつ取られてそのまま2-1で負け。巨人は広島戦から6連敗となった。

 

 采配に関してたらればでアレコレいっても仕方がないのでそのへんは控えるにしても、なんとも悔しさの残る試合だったことには違いない。

 

 前回は「首位を猛追して、あと一歩のところでサヨナラ負け」というある意味ドラマティックな試合であり、まだ同カード勝ち越しの可能性も残されていた状況だったので、「明日勝てばいいや!」という感じに「切り替えていく」ことが有効に思えた。

 しかし、今日の試合展開に限っては、そんなにスッパリと切り替えてはいけないような、明日以降に何かを引きずらざるを得ないような、そんな怒りにも似た雰囲気が漂っている気配である。

 

 

 僕はただのいちファンに過ぎないわけだが、しかし、スポーツとはやはり球場に足を運んだりテレビで観戦したりしてくれる観客ありきのエンターテインメントであるはずだ。そしてだからこそ、ファンにもファンの哲学というか、観戦者としての意識みたいなのが必要だと思っている。

 

 それを踏まえると、「まあ今日のことは忘れて明日勝てばいいや~」というあまりにも脳天気な「切り替え」をすることは、いくぶん躊躇われてしまう。

 かといって、いつまでもズルズルとネガティブな感情を引きずったり、選手や首脳陣に過剰な批判の刃を向けてしまってもいけない。

 

 おそらく「良いファン」というのは、「とりあえず勝てばオッケ~」という健忘症的な肯定と、「負けたら叩きまくる! 選手は2軍いけ! 監督は責任とって辞めろ!」という強烈な否定とのあいだで、うまくバランスをとることができるようなファンのことだ。そして、そのようなファンにとっての「切り替え」とは、両極端な肯定か否定に振れそうなところを踏みとどまり、逆方向へターン(手のひら返し?)するための準備となるのだ。

 

 じゃあ今日のような試合を見せられた場合、果たしてどのような方向へ舵を切ることが「バランスのとれた」、うまい「切り替え」の条件なのか。

 

 試合で負けている以上、「明日は勝ってくれよ!」という方向へ意識を向け直す必要がある。しかし、この試合で紡がれた文脈をオールリセットしてしまっては、また同じことを繰り返してしまうかもしれない。前回のような試合展開なら、まだ連勝の勢いも残っていたからそれでもよかったのだが、今日の場合は連敗中だ。

 だからおそらく、今日生まれた疑念や怒りや悔しさを保存したままに、向きだけを変えるということが必要なのだ。怒りをぶつけるのは、とりあえず我慢しておく。今後、いい形で勝てる試合が増えていけば少しは溜飲も下がるだろうし、保存していた怒りが何かポジティブな感情に昇華するかもしれない。とにかく、次の試合の勝ちだけを願う。 

 今は、選手のみならずファンにとっても、我慢と忍耐の時期なのだ。

 

 ……と、ここまで書いて思ったが、やっぱりそんなお行儀の良いファンばっかりでは面白くないのも事実。すまし顔で平静を装うよりは、怒りに身を任せたほうが良いことだってあるだろう。吉川尚輝に代打阿部の場面は、さすがに……という感じだった……!!! そして山田がやっぱり凄かった。それと比べるとジャイアンツの打線ももうちょっとな~……というのもある。

 

 まあ言い出すとキリがないので、とりあえずこのへんで終わっとく。あくたろう先輩にならってお決まりの文句で締めることにする。

 

 がんばれ! 

 ジャイアンツ!

 

(野球観戦記になりつつある……)