あぼいどのーと

インターネット初心者

「人生」というゲームとマニュアル戦闘

(※今回の記事は、メンヘラモードの僕がお酒を飲みながら書く日記のようなものです。閲覧注意。)

 

 いつごろか覚えてはいないけども、それまで「自動的にできていたこと」、「あたりまえにできていたこと」が全部できなくなった時期がある。というか、正直に言っていまもまだそういう感じが続いている。

 すべての行動が人生を左右する重大な決断のように思えて、チキンになって先延ばしにしたり、いざ行動に移しても、1時間でできるようなことに丸1日かかってしまったり。「ご飯を食べる」とか「お風呂に入る」とかいった日常的な行為すらも、僕にとっては「日本サッカー協会ハリルホジッチを解任する」レベルの思い切った行動に思えることがある。

 

 ゲームに例えると、それまで「雑魚敵はオート戦闘でいいや」という感じで楽に経験を積んで、大事なところでは「さぁボスだ! マニュアル戦闘で行くぞ!」というふうに切り替えができていたはずなのに、ある時から全部の戦闘、全部の行動において逐一「コマンド?」と問いかけられるような状況に陥ってしまった。そしてそれによって、人生というゲームの難易度が急上昇した。ファミコン時代に逆戻りしたような感覚である。

 

 まあしかし、これはたぶんよくあることで、むしろいままでがあまりに親切・過保護すぎたというだけなのかもしれない。成熟した人間は、自分で「雑魚敵」「中ボス」「大ボス」のような切り替えを設定して、雑魚敵はオートで、中ボスは場合に応じて、大ボスはマニュアルでいこう! という風にメリハリのついた戦い方を習得しなければならないのだろう。

 

 けれども僕はたぶん、「こいつらは雑魚だからオートでいいや」という判断ができない、というかしたくないのだと思う。「雑魚なんていない! みんな立派なモンスターだ!!」という中途半端な平等観、貧しい相対主義が僕を支配している。雑魚敵との戦い方に拘泥しているから、大ボスに立ち向かえないのだ。

 これだと、一向に「ゲームクリアー」に向かうことは出来ない。「クリアー」とはたとえば、経済的に自立したり、親孝行をしたり、結婚したり、家を買ったり……。そういう「まともなレール」の上を冒険することが出来ない。

 

 まあ、開き直って「全部マニュアル戦闘でいくぜ!!」という態度をとることもできる。かなりキツイけども、雑魚敵ともまともに対決することによって、自分なりの「人生の攻略本」は書けるかもしれない。金にはならんけども、それはそれで楽しいんじゃないか? という気もする。

 

 そもそもこうやって自分自身のありがちな問題点に着目してブログを書いている時点で、「雑魚敵に拘泥している」ということになろうか。こういうのを芸術の域にまで高めたのが、たとえば「私小説」だったりするのか。でも僕にはそんな能力もないし、う~む……。

 

 

 我ながら「ちょっと何言ってるかわからない」状態になってきたので、このへんで打ち止めにする。

 何が言いたかったかといえば、もし人生の「マニュアル戦闘」を強いられている、もしくはそう感じていてツライ!! という人がいれば、解決策は特にないけども、ここにもそう感じている人間はいますよ~、というようなことだ。それで安心できるかは知らんけども!!

 

 ほんとうに中身のない記事だったけど、まあ数合わせという感じで許してもらいたい。おしまい。